多電子問題とBorn-Oppenheimer近似
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なぜBorn-Oppenheimer近似を考えるのか
この講義の中心的な問いは、水素原子では解けたSchrodinger方程式が、なぜ分子では急に難しくなり、どこを近似すれば化学として読める形になるかである。
水素原子では、電子は 1 個だけである。そのため、電子どうしの反発を考えなくてよい。分子では、複数の電子と複数の原子核が互いに作用する。電子の位置も原子核の位置も変数にすると、問題は一気に大きくなる。
そこで、まず原子核の配置を固定して、その配置の下で電子の状態とエネルギーを求める。この分離がBorn-Oppenheimer近似の基本である。
data/lecture/chemistry/theoretical/quantum-chemistry/水素原子と原子軌道-講義.n.md
直感的な説明
原子核は電子よりずっと重い。そのため、電子の動きから見ると、原子核は一瞬ほとんど止まっているように見える。
この直感に基づき、電子は「固定された原子核の配置が作るポテンシャルエネルギーの中で動く」と考える。電子のエネルギーを求めた後、そのエネルギーを原子核の配置の関数として読む。
この関数が、分子の結合距離や構造を考える土台になる。
多電子のハミルトニアン
電子の位置を \vec r_i、原子核の位置を \vec R_A とする。
\vec r_i\ [\mathrm{m};\ \mathsf{L}],
\qquad
\vec R_A\ [\mathrm{m};\ \mathsf{L}]
原子核の配置を固定した電子のハミルトニアンは、概念的には次の成分を持つ。
\hat H_{\mathrm{elec}}
=
\text{電子の運動エネルギー}
+
\text{電子と核の引力}
+
\text{電子どうしの反発}
核どうしの反発は、電子座標に作用する演算子ではなく、固定した核配置ごとに決まる定数項として分けて扱う。
V_{NN}(\{\vec R_A\})
=
\sum_{A<B}
\frac{Z_AZ_Be^2}{4\pi\varepsilon_0 R_{AB}},
\qquad
V_{NN}\ [\mathrm{J};\ \mathsf{ML^2T^{-2}}]
したがって、固定した核配置に対する全エネルギーは、電子のエネルギーと核間反発を足して読む。
E_{\mathrm{tot}}(\{\vec R_A\})
=
E_{\mathrm{elec}}(\{\vec R_A\})
+
V_{NN}(\{\vec R_A\})
電子どうしの反発は、2 個の電子の距離に依存する。
r_{ij}=|\vec r_i-\vec r_j|,
\qquad
r_{ij}\ [\mathrm{m};\ \mathsf{L}]
反発項には 1/r_{ij} が現れる。したがって、r_{ij}=0 を代入して通常の数式として扱ってはいけない。実際には、電子どうしの近接で波動関数がどのように振る舞うかまで含めて扱う。
この電子間反発があるため、水素原子のように 1 電子ずつ独立に解くことは一般にできない。
Born-Oppenheimer近似で何を固定するか
Born-Oppenheimer近似では、原子核の配置 \{\vec R_A\} を固定したまま、電子のSchrodinger方程式を解く。
\hat H_{\mathrm{elec}}(\{\vec R_A\})\psi_{\mathrm{elec}}
=
E_{\mathrm{elec}}(\{\vec R_A\})\psi_{\mathrm{elec}}
ここで、E_{\mathrm{elec}} は原子核の配置に依存する。
E_{\mathrm{elec}}\ [\mathrm{J};\ \mathsf{ML^2T^{-2}}]
原子核の配置を変えると、電子が感じるポテンシャルエネルギーが変わる。したがって、電子のエネルギーも変わる。
この E_{\mathrm{tot}}(\{\vec R_A\}) を原子核の運動から見ると、原子核が動くためのポテンシャルエネルギー曲面になる。
何が変わり、何が保たれるか
Born-Oppenheimer近似で変えるのは、原子核と電子を同時に完全に解くという目標である。代わりに、原子核の配置を固定した電子問題を先に解く。
保つのは、ハミルトニアンの固有値問題として電子状態を求める構造である。
\hat H\psi=E\psi
原子核の配置を変えると、ハミルトニアンが変わる。そのため、許される波動関数とエネルギーも変わる。一方で、固定された配置ごとに固有値問題を解くという流れは保たれる。
次に変分法が必要になる理由
Born-Oppenheimer近似で原子核を固定しても、電子が複数いれば電子間反発は残る。したがって、電子問題そのものはまだ難しい。
そこで、次に変分法を使う。完全な波動関数を直接探すのではなく、原子軌道や基底関数の線形結合として候補を作り、その中でエネルギーを下げる。
data/lecture/chemistry/theoretical/quantum-chemistry/変分法とLCAO近似-講義.n.md
見分け方
分子のSchrodinger方程式を見たら、まず何を固定しているかを確認する。
原子核の配置が固定されていれば、電子の問題として読む。
\{\vec R_A\}\ \text{fixed}
\quad\Rightarrow\quad
\text{electronic problem}
原子核の配置を変えながらエネルギーを比べていれば、ポテンシャルエネルギー曲面を見ていると読む。
一言でいうと
Born-Oppenheimer近似は、重い原子核を一時的に固定し、その配置の下で電子の状態とエネルギーを求める近似である。この近似により、分子の問題は電子問題と原子核の配置の問題に分けて読めるようになる。