波動関数と確率解釈
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なぜ波動関数を見るのか
この講義の中心的な問いは、波動関数から、電子の存在しやすさと測定値をどのように取り出すかである。
波動関数を「電子が空間に塗り広がったもの」とだけ説明すると、何が実際に測定される量なのかが曖昧になる。量子化学で必要なのは、波動関数そのものを観察することではなく、そこから確率密度、期待値、エネルギーなどを取り出すことである。
したがって、この講義では次の定義を中心に置く。
\text{wave function}
\quad\text{is a state representation that generates probability density.}
日本語で言えば、波動関数は、確率密度を生む状態の表現である。
data/lecture/chemistry/theoretical/quantum-chemistry/量子化学の入口-講義.n.md
直感的な説明
直感的には、波動関数は「どこで電子が見つかりやすいかを計算するための振幅」である。水面の波の高さが正にも負にもなるように、波動関数も正、負、複素数の値を取り得る。そのため、波動関数をそのまま確率として読んではいけない。
確率にするには、絶対値二乗を取る。複素数の向きに相当する位相は、絶対値二乗で消える。一方、波同士を足し合わせる前には位相が干渉を決めるため、位相は無意味ではない。つまり、波動関数の値そのものは観測確率ではないが、観測確率を作る前段階の情報を持つ。
厳密な設定
一次元の一粒子を考える。位置を次の量とする。
x\ [\mathrm{m};\ \mathsf{L}]
波動関数を次で表す。
\psi(x)\ [\mathrm{m^{-1/2}};\ \mathsf{L^{-1/2}}]
この講義では、波動関数が二乗可積分であることを仮定する。これは、全空間で確率を有限にできるという条件である。
\int_{-\infty}^{\infty}|\psi(x)|^2\,dx<\infty
この仮定が壊れると、全空間での存在確率を一にそろえる規格化ができない。したがって、孤立した束縛状態を通常の確率解釈で扱うには、この条件が必要である。
確率密度を作る
確率密度は次で定義する。
\rho(x)=|\psi(x)|^2=\psi^*(x)\psi(x),
\qquad
\rho(x)\ [\mathrm{m^{-1}};\ \mathsf{L^{-1}}]
ここで複素共役を使う理由は、波動関数が複素数値を取り得るからである。複素数の絶対値二乗は非負の実数になる。
|\psi(x)|^2\ge 0
確率密度は「単位長さあたりの確率」である。区間での確率は、確率密度を積分して得る。
\Pr(a\le x\le b)=\int_a^b |\psi(x)|^2\,dx,
\qquad
\Pr\ [\mathrm{1};\ \mathsf{1}]
単位を確認すると、次のように無次元になる。
|\psi(x)|^2\ [\mathrm{m^{-1}};\ \mathsf{L^{-1}}],
\qquad
dx\ [\mathrm{m};\ \mathsf{L}],
\qquad
|\psi(x)|^2dx\ [\mathrm{1};\ \mathsf{1}]
直感で述べた「存在しやすさ」は、厳密にはこの確率密度の大小として現れる。波動関数が大きい場所ではなく、絶対値二乗が大きい場所で電子が見つかりやすい。
data/lecture/math/probability/確率と期待値-講義.n.md
data/lecture/math/algebra/複素数と複素平面-講義.n.md
規格化は何を変え、何を保存するか
規格化は、波動関数全体に定数を掛け、全確率が一になるようにそろえる操作である。
まだ規格化されていない関数を次で表す。
\phi(x)
正の量を次で定義する。
N=\int_{-\infty}^{\infty}|\phi(x)|^2\,dx
ここで必要な条件は次である。
0<N<\infty
この条件があるとき、規格化された波動関数を次で定義できる。
\psi(x)=\frac{1}{\sqrt{N}}\phi(x)
実際に全確率は一になる。
\int_{-\infty}^{\infty}|\psi(x)|^2\,dx
=
\int_{-\infty}^{\infty}\frac{1}{N}|\phi(x)|^2\,dx
=
\frac{1}{N}N
=1
この操作で変わるのは、波動関数全体の倍率である。保存されるのは、どの位置が相対的に大きいかという形である。したがって、規格化は「状態の向き」を保ち、「確率としての総量」を整える操作と読める。
data/lecture/math/calculus/積分法の基本-講義.n.md
位相は何を変え、何を保存するか
波動関数には複素数の位相がある。全体に同じ位相を掛ける操作を考える。
\psi(x)\longmapsto e^{i\theta}\psi(x)
このとき、確率密度は変わらない。
|e^{i\theta}\psi(x)|^2
=
(e^{-i\theta}\psi^*(x))(e^{i\theta}\psi(x))
=
|\psi(x)|^2
したがって、全体位相は単独では観測確率を変えない。一方で、二つの波動関数を足すときには相対位相が干渉を変える。
|\psi_1(x)+\psi_2(x)|^2
\ne
|\psi_1(x)|^2+|\psi_2(x)|^2
\quad\text{一般には}
直感的説明で「位相は確率に直接見えないが無意味ではない」と述べた理由は、この干渉項にある。
期待値は確率密度で重みづけた平均である
位置の期待値は、確率密度で重みづけた平均である。
\langle x\rangle=
\int_{-\infty}^{\infty}x|\psi(x)|^2\,dx,
\qquad
\langle x\rangle\ [\mathrm{m};\ \mathsf{L}]
この式で、位置の単位は次である。
x\ [\mathrm{m};\ \mathsf{L}],
\qquad
|\psi(x)|^2dx\ [\mathrm{1};\ \mathsf{1}]
したがって、積分結果は位置の単位と次元をもつ。
一般の観測量は演算子で表される。演算子を次で表すと、期待値は次である。
\langle A\rangle=\int \psi^*(x)\,\hat A\,\psi(x)\,dx
この形は、単なる公式ではない。右側の波動関数へ演算子を作用させ、左側から複素共役で重ね合わせ、全空間で足し合わせている。つまり、状態の中にその観測量がどれだけ含まれるかを平均として取り出している。
境界条件と規格化可能性
波動関数は、任意の関数でよいわけではない。通常の束縛状態では、少なくとも次を要求する。
- 確率密度を作れること。
- 全確率が有限で、規格化できること。
- 問題の境界条件を満たすこと。
- 必要な微分が存在し、ハミルトニアンを作用させられること。
閉じ込められた粒子では、端で波動関数が消えるという境界条件が現れる。この条件は、許される波動関数を大きく制限する。制限された候補に規格化を行うことで、確率解釈できる状態になる。
具体例: 箱の中の最小状態を読む
長さを次の正の量とする。
L\ [\mathrm{m};\ \mathsf{L}],
\qquad
L>0
区間内の候補として、次の波動関数を考える。
\psi_1(x)=\sqrt{\frac{2}{L}}\sin\frac{\pi x}{L}
この例で見たい概念は三つである。第一に、端で消える。
\psi_1(0)=0,
\qquad
\psi_1(L)=0
これは、箱の外へ出られないという境界条件に対応する。
第二に、確率密度は絶対値二乗である。
|\psi_1(x)|^2=\frac{2}{L}\sin^2\frac{\pi x}{L},
\qquad
|\psi_1(x)|^2\ [\mathrm{m^{-1}};\ \mathsf{L^{-1}}]
第三に、係数は規格化を担う。
\int_0^L |\psi_1(x)|^2\,dx
=
\frac{2}{L}\int_0^L \sin^2\frac{\pi x}{L}\,dx
=
1
この例は、波動関数そのもの、確率密度、境界条件、規格化がどの式に現れるかを同時に確認するための例である。
data/lecture/chemistry/theoretical/quantum-chemistry/粒子箱モデル-講義.n.md
見分け方
波動関数を見たら、まずそのまま確率と読まず、絶対値二乗を取る。
\psi\quad\longrightarrow\quad |\psi|^2
確率を求めるなら、確率密度を領域で積分する。
\text{probability density}\quad\longrightarrow\quad
\int_{\text{region}} |\psi|^2\,dx
平均的な測定値を求めるなら、期待値を用いる。
\text{observable}\quad\longrightarrow\quad
\langle A\rangle=\int \psi^*\hat A\psi\,dx
境界条件や規格化が問われているなら、候補関数が確率解釈できる状態になっているかを確認する。
一言でいうと
波動関数は確率そのものではなく、確率密度を生む状態の表現である。絶対値二乗、積分、規格化、期待値を区別すると、量子化学の計算は「状態から測定可能な量を取り出す手順」として読める。