用語と定義
線型写像 とは、ベクトルの加法とスカラー倍を保つ写像である。正確には、すべてのベクトル u,v とすべてのスカラー c について
T(u+v)=T(u)+T(v),\qquad T(cu)=cT(u)
を満たす写像である。
前半の
T(u+v)=T(u)+T(v)
を加法性 という。これは「先に足してから写しても、先に写してから足しても同じ」という条件である。幾何的には、ベクトルの平行四辺形の合成のしかたを壊さない、という意味になる。
後半の
T(cu)=cT(u)
を同次性 という。これは「先に c 倍してから写しても、写してから c 倍しても同じ」という条件である。幾何的には、原点を通る直線の上での倍率の関係を保つ、という意味になる。
線型性とは、この加法性と同次性を同時に満たす性質である。どちらか片方だけでは十分ではない。線型写像では、より一般に
T(c_1v_1+\cdots+c_kv_k)
=
c_1T(v_1)+\cdots+c_kT(v_k)
が成り立つ。つまり、線型結合を作ってから写すことと、各ベクトルを写してから同じ係数で線型結合することが一致する。
この性質があるから、基底ベクトルの行き先だけで写像全体が決まる。逆にいうと、線型性がなければ、基底の像を知っても、それらの和やスカラー倍がどこへ行くかを復元できない。
線型写像が保存するのは、和、スカラー倍、線型結合、部分空間としての構造である。ただし、すべてをそのまま保つわけではない。異なるベクトルが同じベクトルへ潰れることはあり、長さ・角度・面積・体積も一般には変化する。したがって、線型写像は「空間の加法と倍率の骨組みを保つ変換」だと理解するとよい。
行列 は、ある基底を選択したときの線型写像の表現である。
座標写像 とは、基底 B に関してベクトル v を座標ベクトル [v]_B へ対応させる写像である。
表現行列 とは、線型写像 T:V\to W を、定義域の基底 B と終域の基底 C に関する座標で記述した行列である。
厳密な説明
1. 基底の像で写像が決まる
基底 e_1,\dots,e_n を採用すると、任意のベクトル v は
v=x_1e_1+\cdots+x_ne_n
と表示できる。すると線型性により
T(v)=x_1T(e_1)+\cdots+x_nT(e_n)
である。したがって T(e_i) が判明すれば T は完全に決定される。
ここで直感的な説明で示した「列が基底の像を表す」という主張が、ちょうどこの式に対応する。
2. 行列の列は何か
まず標準基底で考察する。この T(e_i) を列として並べたものが、線型写像の行列である。つまり
A=\begin{pmatrix} \vert & & \vert \\ T(e_1) & \cdots & T(e_n) \\ \vert & & \vert \end{pmatrix}
と解釈できる、ということである。
すると入力ベクトル x=(x_1,\dots,x_n)^T に対して
Ax=x_1T(e_1)+\cdots+x_nT(e_n)
となり、行列積が列ベクトルの線型結合になっていることを確認できる。
つまり行列積の定義も、「基底の像を入力の係数で組み合わせる」と解釈できるように設定されている、ということである。ここが「なぜこの掛け算なのか」への回答である。
この解釈を確認すると、行列積 AB も「まず B を適用し、その結果に A を適用する」という合成写像の表現だと理解できる。つまり行列積の順序が重要なのは、写像の合成の順序が重要であるためである。
3. 座標写像と表現行列
定義域 V の順序付き基底を
B=(v_1,\dots,v_n)
終域 W の順序付き基底を
C=(w_1,\dots,w_m)
とする。基底 B を選択すると、座標写像
[\cdot]_B:V\to F^n
が定義される。同様に C から
[\cdot]_C:W\to F^m
が定義される。ここで F は実数体または複素数体である。
このとき線型写像 T:V\to W の表現行列 [T]_{C\leftarrow B} は、
[T(x)]_C=[T]_{C\leftarrow B}[x]_B
を任意の x\in V について満たす唯一の m\times n 行列として定義される。矢印 C\leftarrow B は、B の座標から C の座標へ変換することを表す。
各 j について
T(v_j)=a_{1j}w_1+\cdots+a_{mj}w_m
と表示したとき、係数 a_{ij} を並べた
A=(a_{ij})
が [T]_{C\leftarrow B} である。このとき A の第 j 列は、T(v_j) そのものではない。正確には
[T(v_j)]_C
である。したがって、行列は線型写像そのものではなく、定義域と終域の基底を選択した後に得られる座標表示である。
4. 合成と行列積
線型写像
T:V\to W,\qquad S:W\to Z
を考察する。V,W,Z の基底をそれぞれ B,C,D とすると、合成写像 S\circ T:V\to Z の表現行列は
[S\circ T]_{D\leftarrow B}=[S]_{D\leftarrow C}[T]_{C\leftarrow B}
である。順序は右から左へ作用する。すなわち、まず [T]_{C\leftarrow B} が B 座標を C 座標へ変換し、つぎに [S]_{D\leftarrow C} が C 座標を D 座標へ変換する。
したがって行列積の順序が逆向きに感じられる理由は、関数合成の記法で「先に適用する写像」を右側に置くためである。行列積は単なる成分計算ではなく、座標表示された写像の合成である。
5. 標準基底での具体例
たとえば \mathbb R^2 で
T(e_1)=\begin{pmatrix}2\\1\end{pmatrix},\qquad T(e_2)=\begin{pmatrix}0\\1\end{pmatrix}
なら、行列は
A=\begin{pmatrix}2&0\\1&1\end{pmatrix}
である。したがって
A\begin{pmatrix}x\\y\end{pmatrix}=x\begin{pmatrix}2\\1\end{pmatrix}+y\begin{pmatrix}0\\1\end{pmatrix}=\begin{pmatrix}2x\\x+y\end{pmatrix}
となる。この具体例で確認できるのは、行列の各列が写像の作用を直接保持している、ということである。
6. 非標準基底での具体例
同一の写像であっても、基底を変更すると表現行列は変化する。\mathbb R^2 の線型写像
T(x,y)=(2x,y)
を考察する。標準基底では
A_{\mathrm{std}}=
\begin{pmatrix}
2&0\\
0&1
\end{pmatrix}
である。
つぎに非標準基底
B=(b_1,b_2),\qquad
b_1=\begin{pmatrix}1\\1\end{pmatrix},\quad
b_2=\begin{pmatrix}1\\-1\end{pmatrix}
を採用する。このとき
T(b_1)=\begin{pmatrix}2\\1\end{pmatrix}
=\frac32 b_1+\frac12 b_2
であり、
T(b_2)=\begin{pmatrix}2\\-1\end{pmatrix}
=\frac12 b_1+\frac32 b_2
である。したがって B に関する表現行列は
[T]_B=
\begin{pmatrix}
\frac32&\frac12\\
\frac12&\frac32
\end{pmatrix}
となる。
具体なベクトル x=(3,1)^T で確認する。これは
x=2b_1+b_2,\qquad [x]_B=\begin{pmatrix}2\\1\end{pmatrix}
である。したがって
[T]_B[x]_B=
\begin{pmatrix}
\frac32&\frac12\\
\frac12&\frac32
\end{pmatrix}
\begin{pmatrix}2\\1\end{pmatrix}
=
\begin{pmatrix}\frac72\\\frac52\end{pmatrix}
である。この座標は
\frac72 b_1+\frac52 b_2
=\begin{pmatrix}6\\1\end{pmatrix}
を表す。一方、写像を直接適用しても
T(3,1)=(6,1)
を得る。したがって変化したのは写像ではなく、座標系と表現行列である。
7. 基底を変えると表現行列はどう変わるか
同じ空間 V の旧基底と新基底を考察する。座標変換行列 P が
[x]_{\mathrm{old}}=P[x]_{\mathrm{new}}
を満たすとする。T:V\to V の旧基底での表現行列を A_{\mathrm{old}} とすれば、
[T(x)]_{\mathrm{old}}=A_{\mathrm{old}}[x]_{\mathrm{old}}
である。これを新基底の座標へ変換すると
[T(x)]_{\mathrm{new}}
=P^{-1}[T(x)]_{\mathrm{old}}
=P^{-1}A_{\mathrm{old}}P[x]_{\mathrm{new}}
となる。したがって
A_{\mathrm{new}}=P^{-1}A_{\mathrm{old}}P
である。定義域と終域の基底を別々に変える場合は、定義域側の変換を P、終域側の変換を Q として
A_{\mathrm{new}}=Q^{-1}A_{\mathrm{old}}P
となる。この式が、対角化で現れる P^{-1}AP の基礎である。
同じ空間の基底だけを変更する場合、A_{\mathrm{new}}=P^{-1}A_{\mathrm{old}}P の関係にある 2 つの行列を相似であるという。相似な行列は同一の線型写像を異なる基底で表示したものであり、固有値、特性多項式、最小多項式を共有する。